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矢車草 5 家に帰るなり泣きながら飛びついてきた娘を宥めながら紅茶を淹れる。 サラの好きなミルクティーだ。 「母さんはね、父さんに振り向いて欲しくて凄く頑張ったのよ」 懐かしそうな目をしながら語り始める。 この食器も、あの頃買った物だ。 「都会での生活にも飽きていたし、何かやりたいことがあったわけでもないしね」 なにかを特別嫌いになることがない。 そして、特別好きになることもない、あの生活。 物質的には満たされていて。 楽しいけれど、空しいことも多いのだ。 「あんなに夢中になれた人、始めてだったの」 ここに来て、そんな二人が出会った。 互いの傷ついた心を舐めあっているだけの関係に見えるかもしれない。 同情だけで成り立っていた関係に見えるかもしれない。 だが、愛は確かに存在していた。 「フェリックスと結婚して、サラが産まれて、家事とかしながら少しずつ老いて行くのも――幸せだったと思うわ。いわゆる“女の幸せ”ね」 そんな考えは、古いのかもしれない。 しかし、未だに専業主婦志望の女性が20%程度いるということは、そういうことではないのか。 「どんなに好きなことがあっても、人は人である限り人を求めてしまう」 例えあなたが夢中になっていても、それしかないのは寂しすぎる。 だから、 「私にあなたを拘束する権利はないけれど、もし出来たなら都会になんて行かせない」 子離れ出来ていないわけじゃない。 ただ、あの空しい世界にやりたくないだけ。 「未だに女性の出世は難しいわ。心が病んでる人も多い。ここに残って、大好きな人と暮らせたならきっと幸せよ」 実例は自分自身だ。 一つの真実を告げ、娘の反応を待つ。 サラは少し顔を上げた。 「そうだね。きっと幸せだと思う。でも、私はそんな幸せは嫌なの」 紅茶を一杯啜って、一息つく。 実の親にこういう話をするのは少し恥ずかしいらしい。 「自分だけここに閉じこもって、ぬくぬくと生きて行くのは嫌。外では色んな人が困っているかもしれないのに。私はそんな人達に――ここの人達みたいに、幸せになって欲しい。そのために自分が出来ることをしたいの」 『今、何不自由なく暮らしているお父さんたちとは、正反対の生活をしている人だっているんだよ』 『そんな人達のために出来る事が、お父さんにはないんだよ。 牧場で採れた野菜や牛乳なんかは、お金のある人の所に行くからね』 あの時の父の言葉を、サラは忘れていなかった。 ……記憶力が良いというかなんというか。 有名国立大に一発合格しただけのことはある。 「それにね、母さん」 「ん?」 「母さんは都会をあまり好いていないみたいだけど、私はそうは思わない。母さんも父さんも、都会で生まれて育ったんでしょ?とっても良いところだと思うよ」 つまりは、 『母や父のような素敵な人を育て上げたので、都会はそれほど悪くない』 苦笑しつつ、ムームーは頭を撫でた。 「やっぱり、サラはあの人似ね。一度決めたら曲がらない、頑固者。その上無自覚な“たらし”なんだから」 子離れ出来ていないのかもしれない、などと思いつつ。 「行ってらっしゃい。夢を、叶えてくるのよ」 「うん。ありがとう」 二人はにっこり笑いあった。 ■■■ 「サラ!」 ヒューが勢い良くドアを開けた。 もう一方の幼馴染みから告げられた事実は、青年にとってはあまりに残酷だった。 『サラは、もうすぐ都会の大学に行くのよ』 舌打ちしても始まらない。 どうして自分は気がつけなかった。 気がつく要素はいくらでも……なかったか。 サラは隠し事が非常に上手い。 娘は父親に似る、というのはまんざら間違ってもなさそうだ。 気まずそうなサラを横目に、ムームーは静かに部屋を出て行った。 よく気がきく人だ、ありがたい。 「お前、大学行くんだってな」 ずんずんと近付いていく。 逃げ場をなくしたサラは、叱られた子犬のよう。 頭を垂れてちょこんと座っている。 ええい、畜生! 「どうして言ってくれなかったんだよ!」 ぎゅっとしっかり抱き締めて叫ぶ。 普段ならこんな大胆なこと、ひっくり返っても出来やしない。 サラは小さくごめんなさいと呟くだけで、一向に顔を挙げようとはしない。 ただただ、目の前にいるこの子が愛しい。 傍 にいたい、いてほしい。 離れたことなんてないから、想像するしかないけれど。 会えなかったらきっと、寂しくてたまらない。 行ってほしくない――が、それは自分勝手な意見でしかない。 本当に愛しているなら、幸せを願うなら、そんなことはしてはいけない。 と、頭では分かっているのだけれど、 「…行かないでくれ、とは言えないけど」 だからこれは、最後の足掻き。 「俺、待ってるから。いつかわすれ谷に――ここに、帰ってきてくれよ」 “ここ”とはすなわち、“今現在いる場所”。 ヒューもなかなか洒落た(?)言いまわしが出来るようになったものだ。 その含みにサラが気付かないはずもなく。 おずおずと、背中に腕が回された。 「私…私ね、酷い人なんだよ」 微かな体の震えが伝わってくる。 「私なんかにヒュー君は勿体無いよ。すぐに良い人見つけられる。私なんて、いつ帰って来るかも分からないのに…!」 男よりも、なによりも、別のものを選んだ。 ――自分の気持ちを言ったら、色んな人を傷つける結果になる。 それでも、言わずにはいられない。 だって、私、本当は、 「それでも、待っててほしいとか思ってる。凄く傲慢なの。嫌になっちゃう」 幸せになりたかったの。 出来ることなら、あなたの傍で。 困っている人の役に立ちたい、それは本当。 そのことが自分も幸せにしてくれる。 でも、でもね、大好きな人の傍にいたいって気持ちがなかったわけじゃないんだよ。 それも一つの幸せだって、気がついてなかったわけじゃないんだよ。 「――待ってて、くれる?」 やっと顔を挙げたサラの目には、大粒の涙。 そっと手で拭ってやって、どちらからともなく瞳を閉じた。 『いつまでも、待ってるよ』
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