君がみた夢は今も輝いて  第六話 「survive」



 数日後、冬にしては珍しく雨が降っていた。春が近いと思うと嬉しくなり、オダマキ博士は柔らかに。だが研究所の扉が開くとその表情はわずかに変化する。頬の筋肉が硬くなって、彫刻のような笑みへ。
「――お久しぶりです」
 気まずそうな顔をしたアキラが立っていた。雪山から帰還して、初の訪問だ。「体調が回復するまで休みを取っていた」。個人的な研究施設であることだし、それは全く問題ないのだが――博士もそれなりの事情は聞いている。
 はてさて、目の前の彼に、なんと言葉をかけるべきだろう。
「あのっ!」
 彷徨わせた視線が跳ね上がる音量で、アキラが呼びかけてきた。うわずっていて、さらに痛々しい。
「次はどこの調査に行きましょうか?」
 予想外だ。
 予想してしかるべきだったのかもしれないが、博士には厳しかった。そうとう意気消沈していると娘からは聞いていたし、休暇を取りにでも来たのだろうと思っていたのに。
 心の動揺を出さないよう、慎重に口を開く。一度名前を読んで、一呼吸おいて。
「……君は、しばらく休みなさい」
 アキラの体がびくりと反応する。もともと青い顔色がさらに悪くなっていき、しくじったかと内心の焦りは高まるばかり。こぶしを握り締め背中に汗が流れるが途中で止めるわけにもいかない。
「ゆっくりと休んで、これからのことをよく考えなさい。分かったね」
 それ以上はそこにいたくなくて、研究所の奥へ素早く退散する。学会ではそれなりに名があがってきたとはいえ、オダマキ博士はまだそこまで年を重ねてはいないわけで、ましてや教育学や心理学なんてものを学んだことはない。ポケモンを失ったことはあれどアキラのように「最も大切」だったわけでもない。
 下手なことを言って、傷つけるのが怖かった。目の前に現れた青年は、少しの傷で壊れてしまいそうな、切ない雰囲気をまとっていたのだ。


■■■


 頭の一部が混乱していることぐらいは判断できた。残る部分は異常なほどに冷めて――いや違う。今のアキラは“冷静”というより、むしろ……壊れた機械でしかなかった。研究所をあとにして、家に帰るでもなく呆然と歩き続けている。
 告げられた言葉は拒絶と同じだった。立ち直らなければいけないと、分かっているつもりでもどうしようもなくて、いつも通りの日常を過ごせば忘れられるかと考えた結果がこのザマだ。博士の顔には戸惑いがくっきりと刻まれていて、現実を突きつけられた。
「ワカシャモが、死んだ」
 鼓膜を強く刺激する音は雨の音。ぼそりと呟いた言葉は飲み込まれて、本人の耳にすらはっきりとは届かない。
 だから、錯覚のように思えてくる。自分は先程口を開いてなんかいなくて、その内容は妄想で、長い醒めない夢を見ているんじゃないかと。全身を凍えさせる冷たささえなければ、そう信じられるのに。
 服に染み入る雨は、体力の消耗した体をさらに酷く扱う。なんの慈悲もなく頬を打ちつける大粒は天の上から降っている。青い空はしばらくお目にかかれそうもない。
「……このままずっと、永遠に晴れなければ良いのに」
 独り言だ。自分にすら聞こえないぐらい、小さな独り言。
「そうすれば……そうすれば……」
 恐れはためらいをもたらして、喉が詰まった。続きを言えない。雨が止まなければどうなるのか、言葉にしたら嘘になってしまいそうで、怖かった。分厚い雲が、うなる雷が、突き刺す雨が、自分の弱さや何もかもを包んで見えなくしてくれるなんて、そんな馬鹿な話を本気で信じ込めるほどアキラは愚かではなかったのだ。
 ――朝起きて、隣にいない寂しさ。
 それこそが何にも代えられない。心に隙間ができたなんてものじゃない。かといって激しい悲しみの衝動も、ない。
 自分の全てが海に流されてしまったようだ。生まれる前の太古の原始の姿に戻ったようだ。何もない、何も考えられない、やるべきことも大事なことも忘れちゃいけない想いも――大切な者すらも!
 生きているだけ。ただ、それだけ。全身に重いものがたゆたって、だんだんと海底へ沈んでいくのが実感として分かるだけ。このままでは駄目だと微かに感じていた心も、雨に流されてしまった。
 豪雨の中、ミシロタウンを徘徊する若者が一人。他に出歩く人はおらず、独り。


■■■


 柔らかな羽毛に身を任せ、大きく息を吸い、自分の体が膨れていくのを感じる。吐き出しても悩みは膨らんだままで、やりきれなくてハルカは目を閉じた。
 聞こえてきた会話は、先日垣間見たあの泥沼をよみがえらせた。年長者として気の利いた言葉の一つもかけなかった父に対して、若干の苛立ちを覚えはしたものの、自分とて結局何も出来ていないのだから責められない。あの、死んだような瞳を見てしまったら、何も言えないのは仕方ないことだと諦めてしまう自分が嫌だ。
 まだアキラに問うてないことがある。早く、出来るだけ早く訊かなければいけないのだけれど、さてさてどうしたものか。
 「訊く」と、あれだけ決心したのに打ち砕かれた。再び決意を固めるには前回の倍以上の想いが必要で、しかも事態は悪化しているよう。
 優しく慰め、なだめながら話を進めていく自信はない。それを問うには、優しさに限らず、人らしい心を持っていたらハルカ自身が壊れてしまう。前回でよく分かった。あくまで機械的に、感情を交えないで、そして絶対にアキラの目を見てはいけない。揺れてしまうから。
 少なくとも今はまだ、無理そうだ。もう少し、あと少しだけ、アキラに回復する時間を持たせないと、本当に心が死んでしまう。時の流れは最大の癒しとなる。無理に立ち直らせようとするよりずっと効果的だろう。

 そこまで考えて、ハルカは目を開けた。先送り、後回し、そう言われても仕方ないけれど、なにぶん事態が深刻なのだから勘弁してもらいたい。もう家に帰っただろうかと窓の外を見れば、どこへともなく歩いている姿が小さく見えた。
「……全く、世話の焼ける」
 この季節、雨に濡れ続けていれば、まず風邪をひく。弱った今ならなおさらだ。下手したら肺炎にでもなってしまうかもしれない。
 ハルカは傘を二つ持ち、外へ。決意もなにもなくて、人らしい心で、傷心の少年を家まで送り届けてやろうと思ったのだ。


■■■


 誰かに何かを伝えるというのは勇気のいることだ。それが、相手にとって喜ばしくない内容ならなおさらだ。例え相手のためを思って発した言葉だったとしても、嫌な言葉を素直に受け取れる人はそう多くない。諫言した部下をないがしろにするのは簡単で、嫌われるというリスクはすぐそばにある。

 微かに、視界の色が変わったのを、アキラは残りわずかな五感で感じ取った。雨で、雲があって、ただでさえ暗かった目の前が、さらに。それが傘による影だと気がついたのは、声をかけられてからだった。
「……風邪、ひくよ。帰ろう?」
 雨が遮られていたことにすら気がつかなかった自分自身に、諦めを感じた。首を横に振っても笑顔を絶やさないハルカを、羨ましいと思った。
「ハルカは……良いよな」
 頭に言葉が浮かぶより、口に出すほうが早かった。今までこんなこと、考えたこともなかったのに、ぽつりぽつりと確実に。
「たいして辛くなんかないんだろ。なんで笑ってるんだよ……!」
 さすがに衝撃を受けたらしく、笑顔が消えた。酷い事を言っている自覚はある。本気で、本音で言ってるわけじゃない。誰かを傷つけてしまいたかった。
 雨が降り、寒さに凍え、アキラは気がついたのだ。自分は小さな人間で、とても小さなただの人間でしかないことに。先日の事件において、何が悪かったのか。
「俺が殺したんだ。俺がトレーナーとして不甲斐なくて、ろくにバトルもさせなくて――進化が遅すぎたんだ! もっとワカシャモが、自分のことを“ワカシャモ”だって自覚してたら、きっと、きっと……」
 弱いアチャモなら、ああする以外にアキラを救う選択肢はなかっただろう。だがワカシャモなら、一撃を浴びせてグラエナの突進を止めることぐらいできたはずだ。崖下に、落ちることなく。
 血走った目で睨み付けたのはあの日の残像。今まで少しも思い出さなかったその光景は、まぶたにしっかり焼きついていた。ちょうどその先にいたハルカの瞳は濡れていて、申し訳なさを感じると同時に奇妙な快感もある。主語もなく腐っていると吐き捨ててもなお、ハルカは穏やかに見えた。
「アキラは、ワカシャモが、大好きだったんだね」
 ひときわ、雨の音が大きくなったように思えた。よく聞けばそれは心臓の音で、だがなぜそうなったのかは分からなかった。はらはらと涙を流しながら、ハルカは告げる。
「――愛していたんだね」
 再び、音量が増した。全てを包み込むような、むしろ逆に発散しているような、不思議な音。分かるのは、地に打ちつけているという事実。そして、地面からの承諾なんてもちろんないけれど、受け入れられている。
「そう、か……それでこんなに苦しいのか」
 納得出来た。ハルカより自分の方が辛いわけも、その解決方法も。雨は依然としてやまず、降り続けるのみ。
「……それなら」
 アキラは、頭上の傘を脱け出す。驚いたようなハルカを気にもせず、久しぶりに生き物に触れた。額を押し付けた肩から暖かさを感じることは出来ないが、それでも良かった。一人で立ち続けるのは、もう、限界だった。支えが欲しかった。
「お前を好きになれば、楽になれるよな」
 大きな震えが伝わってきた。胸に大きく開いた虚空を埋める方法は、それ以外に思いつかない。
 アキラは、笑ったワカシャモが好きだった。傍にいるのが当たり前で、大好きで大好きで、こんなことになるまで気がつけなかったけれど、心のよりどころだった。
 呟いた言葉は、命の重さ。今感じている、この想いの全て。
「――出会わなければ良かったのに」
 裂けるような痛みが走る。――うるさい!
 心臓の部分から、ぴりぴりと全身に駆け巡る。脈打ってる。
 ハルカの震えが増して、一気に体を引き剥がされた。体勢を整える間もなく、頬に、冷たい動揺。
「ばかっ!」
 目はらんらんと、危険に輝いていて、気迫に押し潰されそうだ。固く手を握る。
「馬鹿馬鹿馬鹿! なんでっ……なんでそんなこと言うのよ!」
 そこまで言って、止まった。瞳があちらこちらにさまよっている。その続きを言うべきか否か、なにかしら葛藤しているのだろう。搾り出すように紡がれた言葉は、涙に紛れて途切れ途切れだ。
「アキラは、アキラは、ねえ……どうして今ここにいるのか、考えた?」
 一つ一つ、確認するように、嗚咽を飲み込んで。アキラ自身は、告げられる想いを、雨と共に受けていた。体に深く刻まれる、それは刃だ。
「……ワカシャモが何を望んだのか、分からないの? トレーナーでしょ。主人でしょ? なんで分からないのよ!」
 傷口に劇薬を塗りこまれ、ぐちゃぐちゃにかき乱された。痛くて、ひりひりする。

 ぴくりとも動かないアキラを引っ張って、ハルカは抑揚のない声を発する。少しでも感情を出したら、立っていることも出来そうになかった。放たれた言葉は残酷すぎて、こんなに酷い人はいないとすら思った。
「……帰ろう」


■■■


 まぶたに赤さを見出した。流れる血潮の、赤だ。けだるそうにアキラが目を開くと、窓の外に太陽がいて、光を放っている。吸い寄せられるように体を起こした。
 うっすらとした意識で夜を過ごした。昨日家に辿りついて、シャワーを浴びてそこからの記憶はない。だが眠ってはいなかったと思う。体の芯の方でちりちりとうずく傷を黙って許容していたように思う。
 ――ハルカは、酷い!
 音にならない声を、頭の中で反芻する。こんなことを考えるのはあんまりだと、どこかで分かっていたけれど、罵倒せずにはいられなかった。そうして自分を肯定しなければ苦しくて仕方がなかった。傷ついていると知っているくせに、どうしてさらに追い討ちをかけてくるのか。気に食わないならほって置いてくれれば良いのに!
 絶え間なく襲い掛かってくる激痛は火傷の痛みに似ている。昨日までの、闇に取り残されたような孤独感や、仲間内ではじかれたような辛さとは違う。明確に、痛い。まばゆい閃光を放ちながらじくじくと痛めつけるのだ。ハルカの言葉に体内が汚染されている。
 口調すらもはっきりと思い出せる。アキラはワカシャモのトレーナーだというのに、その願いを、本意を分かっていないと責められた。つまり、ハルカは分かっている、ということだ。その事実に、激情が爆発する。
 ――どうして教えてくれないのか! 辛くて、苦しくて、助けを求めるのはそんなに悪いことなのか! 誰かに甘えたいと思うことの何がいけないというのか!
 掛け布団を一度叩く。既に体力は限界で、微かに衣がこすれる音がしただけだった。

 ワカシャモを失った悲しみと、ハルカに突きつけられた刃で、アキラの心は折れてしまっていた。全てを忘れて眠りについてしまおうと、再び横になろうとしたところで、耳障りな甲高い声が聞こえた。
 目を細め、外を見やると、背筋がぞくぞくすると同時に激しい動悸に襲われる。見覚えがあるなんてものじゃない、間違いない。
「ちょっと、こらっ、待ちなさーい!」
 冬のささやかな太陽光が、漆黒の毛に反射している。冷たい風もお構いなしに、じゃれあいながら駆けている。追いかけるハルカの息は既に上がっていて、ボールに戻すと脅したところでようやく集合が完了した。
「まったくもう! ご飯あげるって言ってるんだから、もっと素直に集まってよね」
 そう言いながらポロックを取り出し、手に掴む。ポロックはおやつだ。食事を与えるのではなかったのだろうかと疑問を浮かべていると、一匹のポチエナが進み出た。三匹の中でも際立って毛並みが良く、先日まで野生だったとは思えない。
「よーし、最初はシプリね。今日はちょっとレベルアップするけど、ちゃんと取ってね!」
 高く投げ上げる。シプリと呼ばれたポチエナが飛び上がる。アキラは息を飲んだ。
 しなやかに曲げられた足が地面から離れた時、わずかに砂が舞う。空中で静止したようにも思えた。緩やかな稜線を描いて落ちてきたポロックを、きっちりとキャッチした様は美しい。大きな音も立てずすんなりと着地した姿に、感嘆のため息を一つ。
「凄いよシプリ! タイミング合わせるの上手ねー」
 抱き上げ、ふさふさの毛に満面の笑みで頬をすり寄せて、ほめ言葉を並べ立てている。ポチエナの方も満足そうに身を任せ、可愛らしい鳴き声をあげた。
 アキラは魂を持っていかれたように動かない。自分が今、どんな顔をしているのか、何をしているのかも知らず、その光景を見ていた。
「じゃあ次はベリアねー、行くよっ!」
 再びポロックが投げられ、二匹目のポチエナが動いた。

 三匹ともがキャッチし終えた時、十分が経過していた。一発でクリアするのはやはり難しいらしい。
「よしっ、皆よく出来ました! ご飯あげるね」
 今度こそ正真正銘の主食を取り出して、器に入れる。地面に置いた瞬間、お腹を空かせた三匹は競うように食べ始めた。
 勢いが半端でないその様子に、アキラは正気に戻り顔を強張らせる。心臓が激しく機能していることをさすがに自覚した。ポチエナたちの表情には鬼気迫るものがあり、先程までの穏やかな表情とは似ても似つかない。
 凄く、凄く必死なのだ。味なんてどうでも良くて、とにかく量を摂ることを最優先にしている食べ方。風になびく毛並みとはかけ離れた、「野生」を感じさせる。
 また、動揺の原因はそれだけではなかった。いやむしろ、それを契機に思い出されたのだ。夢に落ちることが出来ず、心を何度もえぐった言葉。
 ――アキラは、どうして今ここにいるのか、考えた?
 また、胸が押しつぶされそうになる。身を縮め、必死に自分を守ろうとすることしか出来ない。
「ふう……今日も早かったねえ。それじゃ、お昼になったら帰ってきてね」
 ハルカが手を打ったのを号令に、三匹は一斉に走り出す。まとう雰囲気は元に戻っていて、無邪気な笑みだけがあった。
 三匹の足が、大きく曲げられる。踏み込んだ後、跳躍し、前方にあった塀を軽々と越えてしまった。楽しそうに駆けていく。

 姿が見えなくなって、アキラはようやく気がついた。自らの頬に、涙が伝っている。ゆっくりと流れて、落ちている。止めようとは思わなくて、心に身を委ねる。ワカシャモが死んでから初めて泣いた。
 さめざめと泣き続ければ、布団が濡れていく。涙は拒絶されることなく、太陽の光はアキラを照らし続ける。
 だんだんと息が苦しくなる。嗚咽が出た。ひっくひっくと、声がもれる。
 ――ああ、そうか。
 ぐちゃぐちゃに泣きながら、アキラは一つの確信を持った。苦しくて、辛くて、悲しくて、痛い。そんな自分は生きているのだ。
 生き残ったのだ。



<<  >>




「survive」には、「(ほかの人)より長生きする」と
「〜を切り抜けて生き残る」という意味があります。(TARGET1900より)
この話の、最大のテーマです。

シプリは「シプリペディウム(熊谷草)」より。
ベリアは「ハナベリア(鷺草)」より。
ちなみにもう一匹はポゴニ(ポゴニア)(鴇草)です。
全部、蘭科のお花の名前です。
お母さんグラエナのイメージが蘭だったので。
(お母さんグラエナのゲットされてた時代のニックネームは「カトレア」かなあ)
三匹ともを「ポチエナ」と呼ばせるわけにはいかないのでつけてみました。



[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析