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「タオルはちゃんと持った? 非常食は? あと――」 「大丈夫だって! 全部入れた」 「そう……じゃあ、」 いってらっしゃい。 息子が遠出するというのに、心配する素振り一つ見せないところが、アキラの母親の特技だった。そして最大の長所の一つだと思う。傾くように微笑んで、様になっているその雰囲気に、父は惹かれたのかもしれない。 家を出て、最初に向かうのはオダマキ博士の研究所。秘伝マシンはばっちり覚えさせたし、防寒具も完璧で、あとは出発するのみ。 「大変そうだったら私も行くから、すぐ呼んでよ。無理しないように!」 「はいはい、分かってるって」 本当に分かってるのかしらね! ――ハルカが口を酸っぱくして言うのは、アキラの母を知っているかららしい。曰く、「ぼーっとしてることが多いんだよ。アキラやおじさんが遠くにいる時って」。 夢を追いかける男達に想いを馳せつつ、自分は家をしっかり守る。前時代的な思想かもしれないが、それはそれで立派なことだ。男達がそのことを理解して、感謝する心を持ち合わせていれば、一つの素敵な家族の形となる。 「それじゃあ、行ってきます」 博士と研究員達に一礼して、ハルカには目くばせ。扉を開けて、吹き込んでくる北風を全身に受けて。一度だけ振り返ったその眼差しは、完全に男のそれだった。自分の仕事に、誇りと熱意を惜しみなく。多少の犠牲すらいとわずに、進んでいくのだろう。 アキラが出て行った後、研究所は普段の様子を取り戻す。ポツリと呟くのは女の勘。 「――嫌な、風」 風に飲まれて消えて行く。 ■■■ 大荷物を背負いながら、アキラが向かうのは雪山。先日の調査よりも、さらに高く、深く、最奥まで。 一日で目的地に着くわけはないが、野宿するには少々寒すぎる。本当に、ポケモンセンターとはなんと素晴らしい施設なんだろう! 無料で回復してくれるだけでなく宿まで提供してくれるなんて。まあ……全て税金でまかなわれているのだろうけれど。 ふと、そこで一つの疑問が生まれた。虚空に向かい尋ねる。 「住民税って、二十歳になったら払うんだっけ……?」 興味のないことに関する知識が極端に少ない若者が、増えているらしい。 ポケモンセンターの食堂では、色々な人を見ることが出来る。 観光をしに来たのであろう若いカップル。ラブラブすぎて周囲に人がいない。 分厚い眼鏡の壮年の女性。スーツケースが似合いそうで、出張か何かなのだろう。 ごつい体つきをした中年の男性。いわゆる山男で、一人寂しく黙々と食べている。 ポケモンセンターに泊まるからには、少なくともこの人達はポケモントレーナーなのだろう。そして現在、自分は「たくさんの人に愛されているポケモン」の神秘に迫っているのだ。アキラが自身の選択を正しかったと思うのは、こういう時である。 決意も新たに腹ごしらえをしていると、斜めやや上から声が降ってきた。 「ぼうや。ここ、良いかね?」 七十はいっているだろうおばあさんからすれば、まだまだ“ぼうや”なのだろう、うん。なんとなく気持ちよくは思えないものの納得し、おばあさんを前方の席へ薦めた。 おばあさんは相席するやいなや喋り始める。そのスピードは同年代の女子と変わらない速さで、いくつになっても女はお喋りが好きらしい。 「ぼうやは、いくつだね?」 「十七になりました」 「ほう。旅の途中かね?」 「はい。ポケモンの調査をしに行くんです」 「まあまあ、感心だねえ。どこに?」 「あの山です」 そういって窓の外へ指をさす。この辺りでは最も高い、死火山。 「……本当に、あの山に行くのかえ?」 先ほどまでとは打って変わって、声は低く、尾を引くように伸びている。さすがにアキラも不安になり、神妙な顔つきでなにかあるのかと尋ねると。 「あの山は、私が若い頃に迷子になった山なんだよ。そして――」 ごくりとつばを飲む。再びおばあさんの口が開く時、 「おじいさんと出会った山なんだよ!」 気が抜けた。頬を染めて、馴れ初め話を延々と語り続けるおばあさんの背後に、いつの間にやら老人が一人。 「おやおやおじいさん! 今このぼうやに私達の話をしていたところなんだよ」 おじいさんは呆れてものも言えないという顔をしつつ、分かった分かったと流しながらおばあさんの隣へ座る。アキラに小声ですみませんと頭を下げ、後は放置。この後一時間近く、惚気話を聞くはめになってしまったのである。 ■■■ わずかににじんできた汗を感じた。こんなに寒い季節でも、肉体労働をすればやはり暑くなるもので、脱いだ上着をそれなりにたたんで一息つく。 話は数時間前にさかのぼる。順調に山登りをしていたのだが、雪のせいなのか、崖崩れで山道が崩れ落ちていた。荒れた山ならまだ良かったのだが、その山は舗装されていて、獣道へ進むことが出来ず立ち往生。上へ進むには急な崖を登るしかなく、アキラは仕方なしに登ろうとしたのだ。 だが、登ろうにも……ロープが……ない。完全にしくじった。 素手でロッククライミングをするほどの体力はないし、ぐさぐさ鉄製品を挿しながら登る忍者ちっくなことも出来ない。少々高いのでキャモメに運んでもらうのも無理だろう。ワカシャモは、単独で登るのは可能だがアキラを抱えて登るのは難しい。ハスブレロは論外である。 そんなこんなで、三匹と一人がかりで一本の頑丈な即席ロープ作りが開始されていた。容易に切れない植物のつるや枝、茎などを、何本も束ねて一つの紐にしていく。三本の弓矢ならぬ数本のつる、とでも言っておこうか。「つるはちぎれやすいから、木部のある強そうなのを選ばなくてはならない」というのが本音だが、つる植物は夏に多く生息しているので、選んでる余裕はなかったりする。 木を切り倒してはしごを作った方が、つるなどという微妙な材料を集める手間を考えれば早いだろう。疑いようもなく頑丈であるし。だがアキラがそうしないのは、彼の職業柄当然のことで、ポケモン達もそれを理解しているから誰も反論はしなかった。ロープに使う植物は、枯れる寸前のものや枯れたもの。 アキラは別段幸せな人生を送ってきたというわけではなかった。進むべき道が分からず迷った時期もあったが、理想を追い求めることに曇りはなかったのだ。そういう意味で彼は清潔だった。才能の不足は努力で補えると信じていた。 だが、背後からキャモメが呼んでいて、振り返ってみれば。 「うーん……キャモメ、それはつるじゃなくて根っこなんだなどう見ても」 しかも短いひげ根っ子。長ければまだなんとかなるかもしれないが……。横から溜め息が聞こえてきて、誰かと思えばハスブレロ。こちらは良い素材を手にしていて、良くやったと誉めてやる。ハスブレロは小さく頷いた後、キャモメに生物の講義を始めてしまった。 「こりゃ、今日中に登るのは無理かな……」 寝床を作った方が良いかもしれないと考えていると、今度は道の下の方からワカシャモの声。しきりに騒いでいて、こっちへ来いと訴えている。喜色満面の顔からして、悪いことではなさそうだ。 二匹を待たせそちらへ向かうと、ワカシャモは待ちきれないように駆け出した。見失わないよう、慌てて速度を速める。道はコンクリートで舗装されていて、勢い良く足を叩きつけるようにして走るとピリピリして痛い。 ワカシャモが急に曲がったところは、先程いたところよりも一キロ近く下ったところだった。荒れる呼吸を押さえつけ、ガードレールの途切れた山の中へ。急斜面をよたよたと歩いて数分でたどり着いた。見えたのは、小さな池。 既に日は沈み、ホタルのような月明かりがワカシャモの上に注いでいた。常緑樹の木々の隙間からこぼれて、静かに地を照らしている。わずかに揺れる水面が次々と光の波紋を作り上げている様は、神秘的という言葉がふさわしい。 アキラの口から感嘆の声がもれる。ワカシャモは満足げに笑っていた。 ここに、一夜を過ごすこととなった。 ■■■ 薄いもやがかかっていて視界が悪い。ここは……どこだ? 手探りで前へ進んでいると、話し声が聞こえてきた。アキラはさっと身をかがめる。理由はなく、直感で見つかってはまずいと思った。 茂みの隙間からそっと見てみれば、一対の人間とポケモンが川のほとりに座っていた。ぼやけていて、顔どころか服装すらもよく見えない。ただ声だけがはっきりと聞こえてくる。 「あーあ。また負けちゃったよ」 ため息をついているわりに声色は明るい。ポケモンは沈黙を保っている。慰める必要もないのだろう。 「やっぱ駄目だな。勝とうって気がないんだから、そりゃあ勝てないよなあ」 アキラは違和感を覚えた。自分はこの言葉を知っている。どこで、誰の? 人間は川に向かって勢いよく石を投げた。二,三度跳ねて沈んでいった物を見て、もう一度明るいため息。 「なあ、お前はどう思う?」 問いかけると、ポケモンはすっくと立ち上がった。適当な石を持ち、滑らせるように川へ。なんと向こう岸まで届いたではないか。そして一声鳴いた。 その声に聞き覚えがあった、いやむしろ、いつも聞いていた。高く、軽く、あの空を突き抜ける声。……アチャモだ。そうなると、あの人間は自分なのだろう。遠い昔の出来事の再現が行われている。 この問答の結末を知っていた。けれどアキラは目を逸らさずに、じっと耳を澄ましている。石の行方を眺めた人間は小さく頷いた。 「そうか……そうだよな。俺だって分かってたさ」 はたから見たら、石が届いただけで何が分かるのかしれないだろう。ただ二人、そのトレーナーを除いては。人間はゆっくりと近づき、頭を撫でている様子。 やる気のないことをおざなりにやったところで成果がでるはずもない。道を極められるのは、やりたいと思ったことのみなのだ。そうして努力をしなければ、無理だ。 「父さんはがっかりするかもしれないけど、仕方ないよな」 その人間とアキラとが思い浮かべた情景は同じだった。 バトルに明け暮れる父の傷。強くなれと叱咤する声。修行の旅に出ると言い、家を飛び出した日の後姿。 それでも、ただ笑っていた母の面影。 しかし、ここから異なる。アキラのみが持ちうるその記憶。数年後、それなりの実績をあげているらしいことが風の便りで届いた時。母はまた、ただ笑っているだけだった。そして告げたのだ。 アキラも頑張らないとね。こんなに良いお手本になる父親がいて、良かった。 その瞬間、アキラの血潮は湧いた。努力は実る、実らないのは怠惰のせいだと、両親によって突きつけられたも同然だった。父の意志に背いて研究者の道を志したアキラが、実績を出せないことを苦痛だと感じた最初の時である。 そんな風にふけっていると、強い意志を感じさせる声が聞こえた。人間が決意を込めて問うたのだ。 「じゃあさ、アチャモ。手伝ってくれるか? ――俺の、夢」 アチャモが了承の返事を高らかにあげると、それと呼応するようにもやが一気に取り払われた。 少年の目は希望に満ち満ちている。自分の道を選択した者の、若い目をしていた。 そこでプツリと映像は途切れた。眼を開ければ朝日が昇っているのが、葉の隙間からの光で分かった。 懐かしい夢だった。 ■■■ 真上からの日の光を浴びて、完成したロープをぐいぐいと引っ張った。パンと心地の良い音がする。大丈夫そうだ。 通行止めとなった場所に程近い、崖の側にて。 「それじゃ、よろしくな」 アキラがロープの一端を渡すと、ワカシャモは勢い良く跳び上がった。急な傾斜をものともせず、自慢の足で飛ぶように。瞬く間に辿りつき、近くの大木に結ばせる。 「ありがとう! ――じゃあキャモメ、行くぞ」 ロープのもう一端はアキラの手の内にある。崖に足を乗せて、重力を感じる旅へ。 「――アチャモが進化してっ、楽にっ、なったよな!」 誰にともなく話しかける。そこいらの若者よりは体力を持っていると自負しているものの、さすがにロッククライミングはきつい。息が上がりっぱなしで、それなら話しなんてしなければ良いのに、とボールの中で考える者もいたり。 だがボールの外にいる者達はそんなことを考えもせず、照れている場合と文句を言っている場合とニパターン。 「うわっ! キャモメ、悪かった悪かった! だから突つくな、落ちる!」 ぐらぐらとした体を安定させ、また登る。 崖登りをする場合、今まではまずキャモメがハスブレロのモンスターボールを崖上まで運んでいた。突っついたりしてボールを開いた後下降し、ロープを持って、再び上昇。ハスブレロが木に結び、作業完了となる。アチャモが進化したことによりかなり能率が上がっているわけだ。 キャモメを進化させれば一番手っ取り早いのだが、バトルに使わないのだから仕方ない。今覚えている技を思い出すのに、五分以上かかってしまいそうなぐらい、使っていなかった。 崖上で見守るワカシャモの表情が、細部に到るまではっきりと見えた。もうすぐだと己を奮い立たせ、さらに上へ。 額から汗が垂れてきても、拭っている余裕はない。気持ちが悪いと思った刹那。山の神がアキラの心を捉えたのだろうか。 刺すように圧すように、涼やかな風が吹いた。 発せられたのはほぼ同時であったろう、悲鳴に近い叫び声。一つは人間の言語、一つはポケモンの言語、意味は等しい。 「キャモメ!」 主人にぴったりとくっ付いて飛んでいたキャモメが、後ろ襟を素早く掴み、間一髪。突風により倍増したアキラの重さに耐えきれず、もともと丈夫でなかったロープは千切れてしまった。 急に加わった重みで一メートル程度落下したものの、それぐらいは支障ない。残り二,三メートルをキャモメに頼って、アキラは崖上にようやく辿りついた。 以前にも一度、三メートル程度落下して酷い目にあったことがあり、それ以来崖登りをする時はキャモメを伴うようにしていた。役目を担う日は来ない方が良かったのだけれど、今はとにかく無傷だということに感謝しよう。自分と垂直な地面を踏みしめる喜びを満喫しつつ、安堵の溜め息を一つ。ワカシャモをボールに戻し、冬の澄んだ景色を堪能しながら座りこむ。 「やっぱり、キャモメがいないと駄目だな」 膝の上に乗せ、先ほどの謝罪と、ご機嫌取りも兼ねて頭を撫でてやると、自慢げに笑った。されるがままに、疲れたのかうとうとしている様を見て、今流行りの癒しキャラだと認識する。 それにしても。 「最初からこうしてれば良かったなあ」 ポケナビを取りだし、発信。電波が目指すのはミシロタウンの娘さん。 切れたロープの大半は崖下に落ちてしまった。キャモメに取ってこさせ再び使うことは出来るが、また千切れる可能性は高い。登った先に、新たな崖を目の前にして、アキラは助力を請うことにしたのだ。 「あーもしもし。俺俺」 詐欺には引っ掛かりませんよー、と返って来て、名を名乗ろうとしたところで冗談だとのお言葉。二言三言じゃれあって本題へ入る。 「悪いんだけど、鳥ポケモンにロープ持って来させてくれないか? 実は――」 事情を説明し終わったところで、間髪いれず返事が帰って来る。 『全くもう! 無理しないでねって言ったじゃないの。位置エネルギーって、重力と高さの積なんだからね、馬鹿にしないでよ。アキラが60キロとして10メートル落ちたら空気の抵抗とか無視した単純計算で600キロの負荷がかかるんだから! 死んじゃうよ。知ってるでしょ?』 知らない、という言葉を聞こうともせず、圧力がどうとかいう説教が続く。 一流になろうと思うなら避けて通れない道もあるとは知っている。けれど、それでも物理は苦手だった。数学もだが、苦手なものは苦手なのだ。最近ようやく、この年になってなんとか並列繋ぎと直列繋ぎの計算が出来るようになったぐらいなのに、いきなりなんたらエネルギーとか言われても頭がフリーズするだけ。そっちに詳しいハルカがいるから、ついつい頼りっぱなしになっている。 『とにかくっ! 私もそっち行くから、一人で先に進んだりしないでね!』 ぶつっと切れて、耳が痛い。準備に一日、移動に二日で、三日後に合流といったところだろう。 「来てくれるのはありがたいんだけど、ちょっと大げさすぎるよなあ」 心配かけた張本人がこんなこというと、また説教されそうだから止めておく。 完全に寝入ったキャモメをボールに戻し、アキラは探索のため立ち上がる。このエリアはまだ調査していないから、ハルカが来てから本格的に始めよう。冬だから難しいけど、出来れば食料の調達を――。 首に冷たいものがかすめて行った。 「……寝床、探さないとな」 白い、ふわふわしてそうな、でも固い。雪が降り始めた。どこかでまた崖崩れでも起こったのか、音が聞こえてきた、気がした。 アキラ君は「良くも悪くも普通の子」なイメージです。 |
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