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「博士、アキラです! 戻りました」 アキラは大声を出しつつ、研究所のドアを叩く。数秒後に階段を転げ落ちるような音がして、 「おかえり!」 満面の笑みで出迎えたのは、博士の愛娘だった。 「ねね、どうだった?」 その姿は、やはり父親譲りなのだろう。栗色の髪を揺らしながらハルカは問うてくる。大きな瞳がくりくりと動いて、溢れんばかりの好奇心を肌で感じられる。 「良い感じのデータが取れたよ」 アキラがそう言えば、心底嬉しそうに教えてくれとせがむのだ。リュックを下ろし、使い古されたノートを手渡して、一息つく。 アキラは、オダマキ研究所における研究者の一人だった。若くしてその地位に着けたのは、才能はもちろんあるのだが、ミシロタウン出身ということが大きい。博士の一家とはご近所さんで、ハルカは俗にいう幼馴染。調査については、小さい頃からよく手伝っていた。娘については、お守りを押し付けられること数知れず。 ユウキというトレーナーがこの町にやって来た時、ハルカは旅に出た。その時、アキラは既に研究者の道を志しており、ハルカも遠からずその道へ戻ってきた。 以来、体力の有り余る若者として、遠方への調査にはこの二人が借り出されるのが通例となっていた。また、危険な地域へは男であるアキラが出向くのが暗黙の了解である。 「そういえば、博士は?」 まだまとまっていない、メモ書きの集合体のようなノートを、ハルカは熱心に見ている。アキラが思うに、情熱の中にあるこの真剣な表情こそ、研究者にふさわしい。……とはいえ、完全にノートの世界に入り込んでしまい、言葉は耳に届いていない。 音量をあげて名前を呼んでみると、必要以上に驚かれてしまう。 「っうわわ? ごめん何!? 聞いてなかった!」 集中力が素晴らしい人なんだなと思いつつ、もう一度博士の場所を問う。注意力散漫よりは良いが、地震が来てもしばらく気がつかないんじゃなかろうか。 「確か……コトキタウンに買い物に行ってくるって言ってた気がするんだけど……それにしては遅いんだよね」 時計は夕方の五時を指していた。博士が出て行ったのは昼前だという。 「お父さんの昼御飯、どうしよう」 テーブルの上には愛妻弁当がぽつんと置かれていた。冬だから腐ってはいないだろうけど、寂しそうだ。 「私、ちょっと探してくる」 「いや、俺が行くよ。ハルカはそれでも見てて」 ノートを一瞬指差してドアを閉める。全速力で駆け出せば、意地になって追ってくることもないだろう。人の好意を素直に受け取れる娘だった。そして、アキラはこの辺りの出身者にしては珍しく、「れでぃーふぁーすと」の精神が強かった。 一時間が経過しようとしていた時、研究所のドアが力なく開かれた。外にも一応気を配っていたのでなんとか気がつくことができ、ハルカは颯爽と立ち上がる。 「おかえりー! お父さんどうし……ってええ!?」 悲惨に汚れ傷ついた父親と、苦笑するばかりのアキラがそこにいた。慌ただしく救急セットを用意しながら、事の次第を説明してもらうと、どうやらポチエナに襲われていたらしい。ユウキ君がこの町に来たあの日によく似ていたと父は語る。 そして一言。 「あの時……ミズゴロウのレベルが低くて本当に良かったよ」 がっくりと肩を落とす父親にアキラは申し訳なさそうに謝っていて、よく見れば白衣の隅が泥汚れではなく黒くなり、短くなっている。なんとなく、察してみた。 「それにしても、アチャモはやっと進化したんだな」 博士の言葉に、ワカシャモの主人は頭を下げる。 ――なんて顔っ! ハルカは衝撃を受けずにはいられない。アチャモがやっと進化したという事実は確かに驚きだし、それとは知っていたことだけれどそれでも。この上なく柔らかい、暖かい表情で、ワカシャモの入ったボールを見つめている。 ズキン……と、全身が支配される。頭のてっぺんから足の先まで、痺れ粉を受けた方が、心は自由な分だけまだマシだ。 「あっあのさ、お父さん、これ! 凄く面白いよ!」 ノートを手渡し、強引に話題転換。アキラは自分で渡すなりもう少しまとめるなりしてから渡したかっただろうけど、そんなことを言ってる場合じゃない。怒られても睨まれても良い。これ以上、あんな表情を見ていたくなかった。 誰より好きな人が、自分以外の人を誰より好きだなんて、そんな当たり前のことが痛かった。 ■■■ ミシロタウンに帰省した翌日のお昼ごろ。アキラは一心不乱にキーボードを叩いていて、ハスブレロはボケッとテレビを見ていた。 「アレ取ってくれるか?」 アレ……アレ……ああ、アレね。年寄りみたく、重力に逆らって立ち上がる。アレは、どこにしまってあっただろうか。 アキラの手持ちは三匹だった。 一匹目がアチャモもといワカシャモ。旅立ちの時にもらった、大事なパートナーだ。覚えている技は、「いあいぎり・ひのこ・まもる・きあいだめ」。ただし数日後には、「まもる」と「きあいだめ」は「いわくだき」と「かいりき」に変更される予定だった。今回の帰省は、ハルカが秘伝マシンを手に入れたというのも理由の一つなのだ。本来ならもう少し調査したかったのだが。 二匹目がキャモメ。旅立った直後に遭遇し、とりあえずボールを投げたら捕まえられたとかいうラッキーなポケモンだ。「そらをとぶ」が使えないため、道に迷った時や上空からの捜索等にしか活躍していない。バトル経験なんてほぼ皆無なんじゃなかろうか。おっとりしていて、飛行タイプなのに行動がのろのろである。……ポケモンとして扱われていないような、手持ちの一匹だった。 三匹目がハスブレロ。「なみのり・フラッシュ・たきのぼり・ダイビング」……と、まさに秘伝マシンの塊のような。秘伝技を殆ど持っていないアキラを見かねてユウキが譲り渡したポケモンで、本人も自分の役割を理解しているらしく冷静だった。三匹の中では一番頭が良く、アキラが一番信頼しているのは実はハスブレロかもしれない。タイプがあまりにも偏っていることからバトルに使われることはあまりないが、調査の時に一番役に立っているしオスなので、ワカシャモとは違うじっとりしてない「男の友情」が育まれていた。 そのハスブレロがアレを探していると、部屋の窓がガラリと開かれワカシャモが入ってきた。進化して二階までジャンプ出来るようになったらしい。続いてキャモメも入ってきて、部屋に着陸するなり大あくびをして目を閉じる。野原ででも遊んでいたのだろう、ワカシャモは腕にいっぱいの花束を抱いて、一目散にアキラの元へ。目はきらきらしていて、女心はイマイチ理解できないとハスブレロは小さくため息をついた。 それにしても、主人と仲間を見やりなんともいえない気分になる。あの人は、自分達ポケモンを、調査・研究しているのだ。直接自分自身で実験されるということはなく、アキラは主に生態系の調査をしているのだけれど、あまり心地の良いものではない。 ユウキに捕まえられる前、のびのびと暮らしていた頃を思い出すと、言いようのない懐かしさが込み上げてくる。捕まえられてからの生活にだってそれなりに楽しいことはあり、現在の主人の態度に不満はない。食事の心配も、大型ポケモンに襲われる心配もなく、アキラの研究を手伝うことでたくさんの知らなかった世界を見られた。 だがどうしても、あの、なんのしがらみもない世界と比べてしまう。アキラがあの環境を守るために研究活動を行っているというのは理解しているけれど、どうしても微妙な気分になってしまうのだ。 主人と戯れるワカシャモは、そんなことは考えたこともないように無邪気な笑みをこぼしていて、自分が損な性格をしているだけなのかもしれないとも思うのだが。 「ああ、ハスブレロ。ありがとな」 思案するうちに見つけたアレを主人に渡す。その図鑑には色々なデータが図入りで載っていて、字が読めないハスブレロですら好奇心を掻き立てられる。 ――世の中に、知らないことがあるから、知りたいと思う。 その心を一度感じてしまったらきっともう駄目なのだ。ポケモンであるハスブレロでさえ、アキラの研究内容を知りたいと思ってしまう気持ちを持っている。その感情が生まれたのはゲットされた後のことであり、捕まえられることがなければきっと、こんな思いは知らないまま一生を終えたはず。 知的好奇心を留まらせることは不可能なのだろう。知らないことが、世界中にたくさんあると知ってしまったから。 調べられるのは嫌だと思う心と、知りたいと思う心が並存する自分自身。矛盾していると感じつつ、心が成長した証なのではないかと少し哲学的なことも考えてみたり。のんきなワカシャモとキャモメを見て、気楽に生きていた時代を懐かしむだけの今日この頃であった。 ■■■ 少し遠出して向かった先は、お気に入りのあのお店。扉の鈴が可愛らしく響けば、爽やかな笑顔がそこにあった。 「あら、ワカシャモちゃん。いらっしゃい!」 出迎えてくれたお姉さんに、とりあえず擦り寄る。アチャモだった時からの気のおけない仲だから、挨拶はこれで十分だ。 「じゃあ、今日もお願いね」 元気よく返事をして外へ出た。 ワカシャモの日課の一つに、『フラワーショップ サン・トウカ』のアルバイト――大抵はほぼボランティア――がある。先日抱えていた花束はその報酬だった。この真冬の季節、野原に花なんてほとんど咲いてやしないのだ。 主な仕事内容は害虫駆除……ようするにお食事。今の季節は虫もそういないが、無農薬で育てるのは何かと苦労が絶えないそうで。悩めるお姉さんの下にやって来た救世主、それがアチャモだった。サン・トウカの近くで虫をついばんでいるのを見てスカウトしたのが、最初の出会いだとか。 進化してからは水やりも任せてもらえるようになり、ワカシャモはがぜん張り切っている。自分の手により成長する姿が喜ばしかった。人がポケモントレーナーになり、あんなに切磋琢磨するのも、理由はここにあるのかもしれない。 炎タイプとはいえ外はそれなりに寒いわけで、苦手な水に触れないよう慎重に、かつ素早く。全ての植物に水をやり終えた時、ちょうどゼニガメジョウロも空になった。こういう日はとても気分が良くなる。ワカシャモ自慢の脚力でとんでもないスキップが行われ始めた。 サン・トウカに帰って来たところで、ワカシャモの顔色が少し変わる。そこにはお姉さんとミシロのトレーナーがいて、楽しそうに談笑していた。 「おかえりなさい! 暖かいミルクがあるんだけど、飲む?」 とりあえずはこくりと頷くが、目線はあのバンダナへ。 「お疲れ様、ワカシャモ。ここどうぞ」 動揺している自分が馬鹿みたいだ。ハルカは微笑み、自身の隣のイスを指差した。断るのはなんだか大人げないし、負けたみたい。 腰掛けると、ハルカはあれこれと話しかけてくる。研究のことから今日の天気まで、一人で喋っていてこれだけ話題が尽きないのは凄いと思う。 恋敵、だと。お互い認識してからもう何年になるだろう。当然直接話したことはないけれど、お互いがお互いの行動を少しでも見ていれば明らかだった。 一番に大切にされているポケモンと、二番目に大切だと思われる人間の女の子。どう頑張ったって、誰の恋も成就するはずがない。人間であるハルカに猛烈な嫉妬を抱きつつも、微かな同情も感じずにはいられない。ハルカへの、そして、自分への。 もしも、自分が人間だったなら、アキラの一番はハルカだったろうから。繰り上がりでもなんでも、きっとそうなっていただろう。……そして自分の恋は終わるのだ。気づかれることすらなく、枯葉のように散っていく。踏まれて燃やされて、おしまい。 胸が痛くて、想像しただけなのに。なんだか泣きたくなってきてうつむくと、ハルカが慌てて肩を抱いた。 「……大丈夫? ごめんね、私が怖い話なんかしたから……」 違う、違う! 首を大きく横に振る。話なんてほとんど聞いてなかった。 「え、じゃあ……どうしよう、お腹かどこか痛くなった? 横になった方が良い? ……あっ、そうだ、いいきずぐすりがあったと思うんだけど……」 大慌てでカバンを探り出すハルカを見てたまらなくなった。自分に近い方の腕を勢いよく引っ張り、もう一度首を振る。 あなたは何も悪くないんだよ。ただ優しさが痛くて、心の大きさが憎らしくて。 上を見上げて大丈夫だと訴えるように笑えば、それなら良いんだけど、と言いつつ頭を撫でてくれる。その手の平はアキラと似ていて、不覚にも「お似合いだ」なんて思ってしまう自分がいた。暖かい、慈愛のこもった手。 「ワカシャモちゃん。はい、どうぞ」 湯気の出るミルクが運ばれてきた。そこでようやくハルカを開放したが、本当はもっと撫でていて欲しかった。腕の暖かさに触れていたかった。 ワカシャモはハルカが好きだった。どうしようもなく切なかった。 ハルカさんは、「ムカツクぐらい良い子」ってイメージで書きました。 |
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