いつも教会の片隅で沈痛な顔をしてうつむいていた青年。わたしは彼のことが気になって仕方がなかった。 どうして彼はいつも辛そうなのだろう どうして彼は教会通いをやめないのだろう ………… どうして彼は誰にも心を開かないのだろう わたしの心はいくつもの『どうして』で埋め尽くされた。いつもおどおどしている青年のことが放って置けなくて、なにくれと構ってやるうち、『青年のことを想って胸を痛めない日はない』というぐらいに彼のことを好きになっていた。 アージュワイナリーのワイン蔵にて。クリフにワインを試飲させてもらったわたしは、彼を呼びに来たマナさんとはち合わせした。 そこで、クリフの衝撃発言を聞くことになる。 「クリフがここに居てくれてとっても助かってるのよ。デュークも褒めてたわ。あなたはあまりワインを飲まないけれど、ワインのことをよく理解してるって」 クリフはワイナリーの女主人の言葉に、はにかみの混じった微笑を浮かべた。 「デュークの教え方がいいからですよ。僕は彼と同じぐらい美味しいワインを作れるようになりたい。そしてそのワインをマナさんに飲んで欲しいんです」 マナさんの顔に喜びが広がった。その頬はばら色に染まる。 「まぁ!クリフ。私、あなたにそう言ってもらえてすごく嬉しいわ!アージュが出て行った時、私もデュークもひどく落ち込んでしまって……。 寂しくてワイン作りに身が入らないし、後継者は居なくなってしまうしで、一体、ワイナリーはどうなるんだろうって心配してたの。 でも、あなたが来てくれたお蔭で、暗かったウチがぱぁっと明るくなって、仕事にも精が出るようになった。 毎晩、浴びるようにお酒を飲んでたあの人も、今では落ち着いて酒量を控えるようになったし、何もかもが上手くいったのはあなたの助けがあったからよ。本当に感謝してるわ!ありがとう」 「そんな……僕の方こそ………」 クリフは感激のあまり上手く言葉が出ないようで、わたしの方にちらっと視線をよこして、困ったように笑っている。 そんな彼を満足そうに見たマナさんは、 「これで、アージュが戻ってきて、クリフと結婚してワイナリーを継いでくれたら……これ以上に幸せなことはないんだけど」 と付け加えた。 ………アージュさんとクリフが一緒に? わたしは頬を平手で殴られたような衝撃を受けて立ち尽くした。そんなのは絶対に嫌。そう言いたいのだけれど、こればかりはクリフの問題だ。わたしが口出しすることでもない。 出会ったことのないふたりだから、いきなり結婚と言われてもピンとこないだろう。でも、クリフはマナさん夫妻にとてもお世話になっている。マナさんたっての願いとあっては、断れないかもしれない。 クリフはちょっとの間、黙りこんでいた。彼はどんな風に答えるんだろう。早鐘を打つ心臓。わたしはどぎまぎする胸をそっと抑える。ワイン蔵には妙な緊張感が漂っていた。 『ずっとここに居るとな。ワインの声が聴こえてくるんだ』 こんな緊迫した状況なのに、なぜかデュークさんの台詞が脳裏に浮かぶ。 おしゃべりなマナさんがクリフに注目していて、何も言わないので蔵はひどく静かだった。こういう時こそ、ワインのささやきが聴こえるのかもしれない。でも、耳を澄ましてみても何も耳に入ってはこなかった。 わたしのみならず、蔵中にあるワイン達がクリフの返答を固唾(かたず)を飲んで待っている。そんな錯覚を起こしてしまうほどに、わたしの心は波立っていた。 「あの……」 沈黙を破ったクリフの第一声に、わたしの心臓が跳ね上がる。 「僕もう心に決めた人がいるんです。もちろんアージュさんが帰ってこられたら、僕は……」 クリフの横顔は真剣そのもので、わたしは凛々しいとも言える彼の表情に見惚れてしまった。マナさんは思い詰めたクリフの様子にびっくりしたようだ。 「まぁ……クリフったら。そんなに真剣に答えないで!私はあなたにずっとここに居てもらいたいって思ってるんだから」 マナさんは自分の発言を取り消そうとでもするかのように、激しく両手を振った。なぜかわたしに意味ありげな視線を向けると、にっこり笑う。 「そう……。そうだったのね!ふふふふふ。 それじゃあ、私は先に戻ってるわね。クレアさん、どうぞゆっくりしていって」 「は、はい。ありがとうございます」 「僕ったら……なにを言ってるんだろう。恥ずかしい……」 クリフは今ごろ羞恥(しゅうち)の波に襲われているのか、頬を赤らめてうつむいている。マナさんはそんな彼をじっと見つめると、おもむろに腕を伸ばしてクリフの頭を撫でた。その仕草はとても自然で、ふたりはまるで本当の親子のようだった。 「もしもその人と上手くいったら……私に真っ先に教えてちょうだいね?約束よ」 「マナさん………」 マナさんを見るクリフの瞳は潤んでいる。彼女は勇気づけるように彼の肩を二度、三度叩いた。 「大丈夫よ!あなたは私が見込んだ子なんだから。絶対に上手くいくわ。私が保証する」 「ありがとうございます!そこまで言ってもらえて僕………」 わたしはふたりを直視していられなくて、目をそらしてしまった。 クリフがアージュさんとの結婚を承諾しなくて良かった。そう思う反面、彼の『心に決めた人』が誰なのか、そのことが気になって仕方がない。 町でクリフと仲のいい女の子、といったらわたしとランちゃんだ。マナさんがこちらを見たのは、クリフの相手がわたしだと思ったからに違いない。 けれど、本当にそうなのだろうか。そうあって欲しいと切望している。けれども……… ―倒れていたあなたの横に、この写真が落ちていたの。 この方達はあなたの家族? セピア色の写真の中で仲良く肩を並べる3人。 青年の左隣で柔らかく笑む女性。真ん中で幸せそうに笑うクリフ。 そして……そのクリフの右横には、ランちゃんによく似たポニーテールの少女が佇んでいる。 ―………うん。 僕の母さんと妹なんだ。 ランちゃんの顔立ちはクリフの妹さんのそれとよく似ている。クリフがそれに気付かないわけはなく……。 ―ランちゃんのお味噌汁は美味しいなぁ 母さんが作ってくれた物と味がそっくりなんだよ だから僕、君のお味噌汁を飲むたびに 懐かしさで胸がいっぱいになるんだ 幼い頃から父親のダッドさんに料理を仕込まれてきた彼女。ランちゃんの料理の腕は天下一品だった。その上、彼女の料理には愛情という重要なスパイスがたっぷりと入っている。 クリフがワイナリーで働くようになってからというもの、ランちゃんは自分の作ったお弁当を毎日のように彼に送り届けていた。 対するわたしはというと……そちらの才能はさっぱりだった。カレンにひけをとらないぐらいの味オンチなのが致命的。味が分からなくては美味しい料理など作りようがない。 天才的な料理の腕を持つランちゃんと張り合おうだなんてどだい無理な話なのだ。 息苦しくなってきたわたしは、壁にもたれかかった。愛情だったら、ランちゃんどころか誰にも負けない自信があるんだけど。それは果たして、クリフに伝わっているのだろうか。 「クレアさん……?どうしたの!?顔色が真っ青だよ」 「まぁ!大変」 わたしを振り返ったクリフはさっと表情を変えた。マナさんはおろおろとしている。 大丈夫。心配いりません。単なる恋の病ってやつですから。わたしはそんな思いをこめて、口の端を吊り上げてみせた。 「大丈夫、です」 それがふたりの目にはひどく弱々しいものに映ったみたいで。慌てたクリフが手を差し伸べてきた。 「どこが大丈夫なの?ひどい顔してるじゃないか。ドクターの所に行こう。僕、付き添うよ」 バカに付ける薬はないし、恋の病はどんな名医にだって治せやしない。ドクターの所に行ったからといって、わたしの病気は治らない。 でも、この世界でたったひとりだけ、わたしの病気を治せる人がいるのだ。その人とは…… 「………やぁね。ひどい顔だなんて、女の子に……そんな言葉」 おどけたように肩をすくめると、わたしを支えようとした彼の手をやんわりと振り払った。 「わたしは平気よ」 わたしの態度を彼への拒絶、と取ったのだろう。クリフは青い瞳を悲しげにくもらせた。 そんな顔をさせたかったんじゃない。わたしは慌てて謝る。 「…………ごめん」 こんなことじゃいけないのはよく分かっている。確率は2分の1。わたしか、ランちゃんか。どちらかなのだ。今、この場ではっきりと問い質(ただ)せばいい。 でも出来ない。 だって、もしも彼の相手がわたしじゃなかったらどうすればいいの? こんなに。 胸が張り裂けるぐらいにクリフのことを想っているのに。 怖い。 寒いわけでもないのに身体の震えが止まらない。 マナさんとクリフ。四つの瞳がわたしを見つめている。その息苦しい沈黙に耐え切れなくなったわたしは、彼らの制止を振り切ってワイン蔵から逃げ出した。 |
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