「なんか、すっごく不機嫌そうに見えるんだけど?」 柑は缶ジュースを手の中でもてあそびながら尋ねた。 「……そんなことねーよ」 まるで何かを飲み込むように神尾は自分のジュースを勢いよく飲み込んだ。 「…………………………」 どこが?という目で柑はじーっと神尾を見つめた。 コンサートの最中はテンションが低いし、夕飯の時は話しかけても会話が弾まない。これでいつも通りだと言うほうに無理があった。 無言の追及に耐え切れなくなったのか、神尾は観念したように言った。 「結構時間が経ってたんだなと思っただけだよ」 「時間が?」 「ああ」 柑は何の?とは聞かず、「そっか……」と目を伏せただけだった。聞かなくても何を言っているのか痛いほどわかるからだ。 手を冷やしていただけの缶のプルトップを開けると、プシュと炭酸の音がした。そのまま口に運び、勢いよく一口飲む。微炭酸なのでむせることはなかったが、喉がヒリヒリと弾けるようだった。 そのまま沈黙が続いた。 「……そうだね、私はあんたが成長する時を目にできなかったもんね」 柑は神尾を見ることなく、ぽつりと言った。 橘が転校してきて、テニス部が変わって、さあこれからだという時に不動峰を離れてしまった。確かに足の速さは認めたが、テニスの腕はまだまだ基礎基本で、細かいテクニックなど見られなかった神尾が、ジュニア選抜に選ばれた人間を倒すほどになっていたとは、流石に予想し得なかったことだった。 強くなるんじゃないかとは思っていた。 けれど、こんなに早く登ってくるとは思わなかった。 この半年以上の時間を神尾はどう過ごしてきたのだろう? 自分の勝手で、しかも何も言うことなく転校しておいてこんなことを考えるのはどうかと思うが、残念でならなかった。 ――側にいたかった。力になりたかった。 「過程を見れなかったのは、残念だったかも」 想いを打ち消すように、柑はジュースをごくごくと一気に飲んだ。流石に少し苦しくなり、飲み干すと大きく息を吐いた。 「もう成長しないみたいな言い方するなよ」 少し憮然とした様子で、神尾が言った。 「俺は…俺たちは、ここで終わらない。まだ先がある。全国っていう舞台があるんだ。青学だろうと立海だろうと、今度当たった時は絶対に勝ってやる。そのためにはここで終わるなんてことはできないんだよ」 地区予選を、都大会を、関東大会を思い出しているのだろうか? 飲み終わった缶をぎゅっと強く握り締めている。硬いスチール缶でなければ潰れそうだった。 「もっと成長してやるさ」 柑は思わず息を呑んだ。 神尾の眼差しの強さ。 どこか遠くを見据えている視線の強さ。 先程までの刺々しさが消え、真っ直ぐな目は中一の時に隣りにいた人物とは別人のように感じられた。 「だから、これからは見ていてほしい」 柑の心の中に、言葉がストンと落ちてきた。 他校のテニス部と関わりがあるということで、根拠のない噂が流され、煩わしい因縁をつけられた。 摩擦を減らそうと気を回して、大会があるうちは距離を置かなければと思った。 でも、たった一言で、それらが全て吹き飛んでしまったようだった。 言いたい奴には言わせておけばいい。 口にしたくもない言葉で私を呼ぶ人、陰でこそこそ噂する人、直接攻撃してくる人。 そんなくだらない奴らのために、何故私が悩まなければならない。 時間を大切にしたい。 それを壊そうとするなら容赦しないだけだ。 他のことなんて知らない。 我慢して、大人しくしているなんて嫌だ。 勝手かもしれない。 自己中心的な考えかもしれない。 でも、自分の心に従いたい。 切にそう願う。 一息ついて、神尾が立ち上がった。 「うわっ!」 歩き出した瞬間、カクッとこけて、見事にしりもちをつく。 「大丈夫?」 柑は慌てて近づき、目線を合わせるため隣りにしゃがんだ。 神尾は俯いたまま、髪を乱暴にガシガシとかき、自棄になったように言った。 「折角決まったと思ったのに、カッコわりぃ」 言葉の通り、先程までの研ぎ澄まされたような真剣な顔は崩れてしまっていた。 顔は上げないが、耳が赤くなっている。 穴があったら入りたいと思うほど恥ずかしいと感じているのかもしれない。 柑はきょとんとその様子を見た後、真面目な顔をして「ねえ」と話し掛けた。 「さっき、初めてアキラをカッコいいと思った」 「初めてかよ」 「変わっちゃって、遠くなった気がした」 「どこがだよ。むしろ……」 「え?」 「いや……。俺は変わってねーよ」 「確かにアキラはアキラだけど」 「それ、誉めてんのか?」 「さあね」 「おいっ!」 柑は先に立ち上がり、神尾の腕を取って、ぐいっと引っ張って立ち上がらせた。 「アキラはカッコいいってタイプじゃないよ。いつでも真正面からがむしゃらに突っ込んでいって、いつも本気だから裏がなくて、感情がストレートで、ガキみたいで、不器用で、大人ぶっても上手くいかなくて」 「……やっぱり、誉めてねーだろ」 「褒めてないけど、けなしてもいない。ただ――」 「私はそんなところが好き」 「え……」 「そう思っただけ。それが長所か短所かなんて知らない。関係ないから」 「柑……」 柑は転がった神尾の空き缶を拾って籠に投げ入れた。空き缶は弧を描き、鉄の音が鳴った。もう一つ、自分の持っていた缶も同じように投げたが、それは籠のふちに嫌われ、カラカラと転がった。 「一度転がらないと入らないのかな?」 冗談とも本気もとれることを言いながら、柑は缶を広い、普通に籠に入れた。 不意に、背後に人が近づく気配を感じた。もちろん神尾であるから、柑は何も言わず、振り返りもしなかった。 神尾は後ろから腕を回し、柑をぎゅっと強く抱き締めた。 「俺さ、お前がすごく変わったように思ってた」 耳元で囁かれる。クラクラするような響きは持っていないけれど、とても心地良いと思った。 「もちろん変わってないとは言えない。外見なんて今日みたいにいくらでも変えられるし、内面だって変わってるかもしれない。でもね、変わったこともあれば、変わらないことだってちゃんとあるよ」 腕にもたれ、そっと手を重ねた。 再会するまで約半年。 何かが変わるには十分な時間だった。 でも、想いは変わらなかった。 変えることができなかった。。 どんなに揺らいでも、忘れようとしても、忘れたと思い込んでも、結局すぐに表に出てきてしまう。 広場は白色の街灯と近くのビルの色とりどりのネオンに照らされている。 駅を利用する人はまだまだ多く、夜はこれからとばかりに道行く人が途切れることはない。 会社帰りの中高年や自由な雰囲気を持つ若者ばかりでなく、昼間は制服を着ているであろう少年少女の姿も多々見られるから、二人を特別視する人はいない。 抱き締めあっていても。 口付けていても。 ちらりと視線を向けるだけで通り過ぎていく。 今は二人だけ。 これ以上の時間なんて存在しない。 * * * 「先輩たちに何お礼したらいいと思う?」 帰りの電車の中で柑は神尾に尋ねた。 神尾が「お礼?」と怪訝な顔をする。 「なんでお礼なんてするんだ?」 化粧も服も、断れなかっただけだろうと不機嫌そうに言った。 「だって――」 柑は右手の薬指で神尾の唇を強くこすった。 「こういうの初めてで、結構ドキドキできたから」 指先は、ほんのり色づいていた。 |
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