電車が徐々にスピードを緩め、人に動きが出てくる。 「お出口は左になります」 神尾は扉のすぐ側に立ち、逸る気持ちで窓の外を見る。もう駅の構内だ。 早く止まれ、早く止まれ。 やっと電車が止まり、プシューと扉が開いた。 溢れ出す人並みと流れ込む人並みの中、出来るだけ早く歩く。本当は自慢の足で走りたいところだが、人の多さでそれは叶わなかった。 待ち合わせは午後五時。 誰に聞いたのか忘れたが、デートの鉄則の一つは『待ち合わせ場所には余裕を持って着くべし』だ。今はまだ約束まで二十分ある。合格と言えるだろう。 ささやかな自己満足を感じつつ、神尾は待ち合わせ場所である駅の東口に向かった。 東口は出てすぐに植え込みやベンチがあり、待ち合わせをしているらしい若者が何人も目に入った。 一応辺りを見回すが柑は見つからなかったので、出口付近の人の流れがよく見えそうな位置に移動した。 初デートというわけでもないのに、緊張が体中を巡る。 胸を抑え、深く息を吸って吐く。何度か繰り返し、気持ちを落ち着けた。 「アキラ」 後頭部をつんとつつかれ、神尾は振り向いた。 「か……………!?」 笑顔で振り向こうとした神尾は、振り返った姿勢のまま固まった。 ドキドキが最高潮だった心臓がピタッと動きを止めたのではないかと思うくらいビックリして、口は言うべき言葉が見つからず、ぽかんと半開きの状態になった。 まばたきを忘れ、ただ目の前に立つ人物を見つめるしかなかった。 予想通りそこには柑が立っていた。 予想もしていなかった姿で。 ほのかに色づくグリーンのアイシャドウ。 黒のアイラインが目の輪郭をくっきりとさせ。 白のパール入りアイライナーが目元をきりっと引き締め。 カールしたまつげをマスカラが引き立てる。 自然なファンデーションが塗られた頬には控えめな赤いチーク。 唇には落ち着いたピンクに、瑞々しく輝くグロス。 茶髪の髪は緩やかにウェーブがかかり。 透明なラインストーンが並ぶヘアピンでサイドを彩る。 深く開いた襟元をレースが飾る白のキャミソールに。 ざっくりと粗く編まれた黒のカーディガンを羽織って。 中間から裾にかけて蝶が舞い飛ぶ、大きくスリットの入った黒のロングスカート。 すらりと伸びた足の先は華奢な赤いミュール。 首と左手首と右足首には揃いの星がきらめく銀のチェーン。 綺麗で。 カッコよくて。 パッと目を引く。 派手ではないが、地味でもない。 大人っぽい『華』がそこにはあった。 柑のあまりの別人ぶりに目を奪われ微動だにしない神尾に、柑は表情を曇らせた。 「やっぱり、こんなの変だよね? 服はともかく、化粧は落としてくるよ」 「い、いや、別にいい!」 神尾は慌てて顔の前で手を大きく振った。 驚きが先立っていたが、要するに柑は今までにないくらいお洒落をしてきたということ。それなら、男として褒めなければならない。 神尾は何とか気を取り直した。 「その……いつもと感じが違うけど……変じゃない。……綺麗だ…と思う」 「本当に?」 しどろもどろの台詞を聞いて、柑は間髪いれず疑いの目を向けた。 「ああ」 迫力に押されつつ神尾は頷いた。 「絶対に?」 「ああ」 「嘘言ったら針千本だからね」 「ああ…って、それ指切りの話だろ?」 自然と出た神尾のツッコミを柑はあっさりと無視した。 「神に誓って?」 「……ああ」 「そう……」 柑は少し肩の力を抜き、とりあえず安心したように一息ついた。 「じゃ、行こうか」 「え?」 「コンサート」 「………」 「違うの?」 急な話題の変化に戸惑う神尾に対し、柑は何も気にしていないように首を傾げた。 「いや、違わない、けど……じゃあ、行くか」 神尾と柑は並んで歩き出した。 「それ、自分でやったのか?」 神尾は周囲の様子をチラチラと伺いながら聞いた。 「まさか。……先輩たちだよ」 「どういうことだよ?」 柑は渋々と説明を始めた。 「アキラから電話もらった時、忍足先輩たちが側にいたの。通話は聞こえてなかったみたいだけど、今日のこと上手く白状させられちゃってね。『久々のデートは特別なもんやろ。そんなら特別な格好せな』ってことになって、こういうことになったわけ。大変だったんだから」 ほんと暇人だよねと呟く。 神尾は呆れて、 「断ればいいじゃねぇか」 それを聞いて、柑はジトッと神尾を睨んだ。 「それが出来れば苦労しない。最初はもちろん断る気満々だったよ。でもね、いつの間にか承諾してた、ううん、承諾させられてた。本当にいつの間にか。あーもう、何であんなに口が上手いんだろ」 柑がブツブツ文句を言うのを聞きながた、モヤモヤとしたものが湧き上がってくるのを感じた。 前にもこんな気持ちになったことがあったような気がする。 あれはいつのことだったか。 「何ボーっとしてるの?」 神尾は柑に腕を引っ張られた。 考えに気を取られるあまり、前から人が来るのに気が付かなかったらしい。 「他の人の迷惑になるよ」 咎めるような言葉に、霧がすうっと晴れていった。 『大迷惑』 冷たく吐き捨てられた言葉。 そうだ、思い出した。 氷帝に柑を訪ねていった時のことだ。 柑が氷帝の生徒だと思い知った瞬間。 怒りの中で、どうしようもない距離感を感じていた。 あの時と似ている。 柑は、今自分が周囲の人間の視線を集めていることに気付いているのだろうか? 会場でも、終了後に寄ったファーストフード店でも状況は変わらず、視線と囁きがまとわり付くようで、神尾は不快感を感じていた。 それは周囲の人間に対してかもしれないし、柑を変えた氷帝の人間に対してかもしれないし、変わってしまったように感じる柑に対してかもしれないし、柑が目の前にいるのにぐちゃぐちゃとしている自分に対してかもしれなかった。 柑は何も感じていないだろう。 自分だけが置いていかれた気分になっているようで、心底情けなく思えた。 ずっと何か言いたげな顔をしていた柑は、駅に入る手前の広場でピタッと立ち止まった。 「どうかしたのか?」 「何か飲もう」 柑の指先には自動販売機があった。 「いいけど……」 神尾が同意するとすぐに二本の缶ジュースを買い、街灯に照らされたベンチに座った。一本を横に置き、ポンポンと叩く。 座れ、と。 神尾が何も言わずに座り、ジュースを飲み始めると柑は口を開いた。 「一体どうしたの?」 |
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